私について

私について


………簡略すると、

アレッサンドロ・ボルゲーゼは、斬新でジャンルを問わない幅広いレパートリーを持つシェフです。国内外のレストランで働くこと19年の経験を持ちます。
彼がケイタリングとコンサルティングの会社「シンプルの中の贅沢」を、レストラン業界で立ち上げました。
小さくはプライベートから大きな公共機関イベントのために、それぞれの機会にあったメニューをプランします。
常に好奇心旺盛な美食家、食通たちを楽しませることの出来る斬新さがありながらも、イタリアの伝統料理の根は断ち切らないメニューを提案します。
アレッサンドロ・ボルゲーゼは、2004年にテレビに出演して以来、常に大衆から愛され、人気あるシェフです。今日彼自身がプログラムを組んでいるテレビ番組は、イタリアだけでなく外国でも放映されています。又、テクノロジーに精通するシェフとも言われ、自身のサイトを持ち、イタリア人シェフで唯一、フェースブック、ツイッターを駆使し、常に世界とコミュニケーションを取り続けています。
サンフランシスコ(アメリカ合衆国)生まれ、既婚者、一女の父。ローマ、ミラノ、ロンドン、アメリカ間で生活をしています。

テレビ番組(チャンネル109-110)「Ale Contro Tutti=アレ対皆、(皆が敵の意)」は、毎週月曜日から金曜日まで、19時40分より放映中です。*Ale(アレ)とは、アレッサンドロを短くした呼び名です。

「Sky局(pay TV)の番組「Ale Contro Tutti」に出演中です。リアルなキッチン対決で、Aleこと私が対参加者のファミリー側を相手に回し、おのおの出場するファミリーのお家自慢の料理と、私が作る料理で対決してゆきます。出場するグループは、カップル、友達、ファミリー、おじいさんとおばあさんなど、審査する側は、PayTvの「Sky」の契約者より大人2人と少年/少女から一人。この料理のショーは、私自身のソーシャルネットの友達の輪にまでにいたります。

番組内では、毎回歌の名前を当てるクイズを出します。もちろんヒントも与えます。Skyの会員は、Skyのサイトのファン・ページに行き、当てることが可能です。当てることにより、点数をためることが可能で、シーズン内高得点者は、アレッサンドロ・ボルゲーゼ彼自ら作る食事を楽しむことが出来ます。

「私は、世界と接することの出来るインターネットに接続することが好きです。それによって、インスピレーションを受けたり、教えたり、私のソーシャルネット(Facebook,Twitte)やサイトを通して、人々を楽しませることが大好きです。こんにち、幸運なことに、最も現代的なこの時代の道具「インターネット」を駆使することで、新しいソーシャルネットに接したり、新しい真実に出くわしたりも出来、毎時新しく作られるプログラムをアプリーケーションすることにより、電池さえあれば、ありとあらゆる場所で仕事が出来るようになったりしています。このテクノロジーは、いつまでも私たちの生活の一部になることでしょう!」

もっと知りたい人のために……

1976年11月19日、サンフランシスコ(アメリカ合衆国)にて、アレッサンドロ・ヴィンチェンツォ・ボルゲーゼ(Alessandro Vincenzo Borghese)は、生まれました。
有名な女優バルバラ・ブシェ(Barbara Bouchet)を母に、実業家ルイ―ジ・ボルゲーゼ(Luigi Borghese)を父に持ち、マックス(Max)と呼ばれる弟の兄弟がいます。

「小さい頃、大きくなった時に何になりたいか?と学校で尋ねられましたが、そのたびにいつも漠然と答えていました。短い期間、いくつかのバリエーションを経ます。まずは、勇気ある消防士、次に火芸人。なぜか火が料理に関係するのか、いつも火が関わる職業に興味があったようで、火と食べ物と、私が持つ天性の楽天的な性格が加わることにより、最もいい就職先を見つけるのです。それが、キッチンです。子供の頃から、五感を深めることにより、いつしか作る味の楽しさにたどり着きました。幼い頃、そうあれは5歳のときに、毎週日曜日の朝早く起き、父が料理する、彼の手先の動きを観察するのが好きでした。彼の包丁裁き、レンジを使いおなべやフライパンを操作する手、お皿を扱う手、彼の動かす手先に、魅了されたものです。
また、彼が、微笑みながら、何を作っているのかを、まるで御伽噺かのようにレシピを語ってくれる。あの時の環境こそが、今日の私を生んでくれました。
これによって、今日の私の仕事においてのコミュニケーションの仕方や、食べ物の切り方、混ぜ方にまで至るまで、影響を与えていると思っていますし、私が料理をする時は、実際に楽しんでいるわけで、私は私の仕事を本当に愛しているのです。」

「このようにして、自分の人生の目的は始まりました。幼児期の特別な思い出の中、両親が普段料理をしていたキッチンに、私の願いの一部を見ていたのです。私の頑固さと、料理に対する情熱、そして私の両親の教えによって、それが実現したとしても、あのキッチンは、どこにもない場所、レシピを新しく作るための完璧な場所、レシピのために天分の才を正しく使うための場所なんです。」

(本「L’abito non fa il cuoco.La cucina italiana di uno chef gentiluomo=シェフの作業着だけで、シェフにはなれない。イタリア料理の紳士」」より)

1994年、ローマのインターナショナル・スクール卒業後、豪華客船に業務員として乗り込みます。この豪華客船の調理場で3年間働きます。世界を巡る豪華客船に乗ることは、常に世界中を周ることで、それによりありとあらゆる場所の国の料理を楽しむことが出来ました。
この経験で、幾人かのシェフに、認められ、勇気付けられ、シェフになる意思を固めてゆきます。

「船は、私の家となり、又動く学校にもなりました。そこの船の世界は、いくつものストーリーからなり、一晩の愛からなり、間違ったレシピからなり、思わぬ成功からなり、待っていなかった出会いからなり、想像のつかない場所からなり、真の微笑からなり、3人と友達の話からなり、頭の後ろに手を組み、横になって、いつかアレッサンドロ・ボルゲーゼのメニューを読む日が来ることを想像している夜からなっていました。」

「1994年11月30日ソマリア付近を航海中に、その豪華客船から火事が突如と起こり、その3日後の12月2日、その火事は船の沈没の原因となり、私は、大洋を航
海する最後の豪華客船が、美しい青い煙突と共には沈没して行く姿を見ました。」

(本「L’abito non fa il cuoco.La cucina italiana di uno chef gentiluomo=
シェフの作業着だけで、シェフにはなれない。イタリア料理の紳士」より)

1997年、サン・フランシスコ(アメリカ合衆国)のイタリア移民地区のレストランで働き、一年後、ロンドンに出発します。

「1997年にサン・フランシスコのイタリア移民地区ノース・ビーチ(NorthBeach)のべジタリアン・レストランで働きました。まだ20歳でした。街のイタリア移民地区のレストランで、夕日が遅く沈む頃、レシピの準備に取り掛かっていました。最も好きなレシピは、巨大玉ねぎのオニオン・リングのフライかグリル焼きでした。一度焼かれた玉ねぎは、まるで大きな花のようでした。」

「料理することは、私にとって、コミュニケーションをとること、クリエイティブな道具であります。簡単な香料と共に、美味しい味を混ぜることは、時として、驚く発見で、常に続く挑戦でもあります。」

(本「L’abito non fa il cuoco.La cucina italiana di uno chef gentiluomo=
シェフの作業着だけで、シェフにはなれない。イタリア料理の紳士」より)

1999年、フランスはパリのいくつかの有名レストランの研修に通う。

「新しい味に出会いたいとき、ほかの料理に出会いたいとき、新しいレシピを研究したい時に、ノルウェーに出向きます。そして、スペイン、イギリスにも向かいますが、一番最初に通らなくてはならない場所に、パリがあります。この街には、料理に対する伝統のほかに、料理への知識において、ほかの街にはないものがあるのです。」

(本「L’abito non fa il cuoco.La cucina italiana di uno chef gentiluomo=
シェフの作業着だけで、シェフにはなれない。イタリア料理の紳士」より)

2000年、イタリアに戻り、ソムリエの学校に通います。

この期間中、ローマのいくつかのレストランで働き始めます。特にいい音楽と美味しい料理ためのレストランは、特別でした。

「ワインの世界で働くことは、喜びと義務を結ぶ最も良い方法です。ワインとは、ファンタジーです。」

「この時期に、サックスを弾き始めました。かなり高いレベルになるまで、習うつもりでしたが、かなり複雑なものと、レストランから働き終わり、家に着くと、かなり遅く、休みの日は、寝ているか、料理の本と勉強しているかのどちらかだったので、何回かのレッスンの後、この夢はあきらめました。
私にとって、音楽は、料理とバイクの後に来る、情熱です。すべての音楽を聴きますが、特にロックが好きです!1000枚以上にも上るCDを持っています。これらのCDは、私のリビングの白い本棚のJAZZ奏者らの伝記の本の横に置かれています。」

(本「L’abito non fa il cuoco.La cucina italiana di uno chef gentiluomo=
シェフの作業着だけで、シェフにはなれない。イタリア料理の紳士」より)

2004年、この年より、番組制作会社Magnoliaを通してディスカバリー(Discovery)局、リアル・タイム(Real Time)局とのコラボを開始します。

「Cortesi per gli ospiti」、「L’Ost」、「Cuoco gentiluomo」番組の司会も務めます。

「2004年、この年、人生にとっての大切な選択に迫られます。一つはリアル・タイム局のテレビ番組で、「Cortesia per gli ospiti」の番組で、シェフとして出演すること。もう一つは、ある有名レストランが、中国に開店するために、任せるシェフを探していました。
このとき、私は、「才能」を選んだのです。今日、テレビのいくつかのテレビ番組の司会を務め、たくさんの友達が、私のサイトに登録しています。」 (AB=*以下アレッサンドロ・ボルゲーゼ)

「テレビ番組「L’Ost」には、太らされました。しかし、私の知らなかったイタリアの伝統料理を習えた部分、シェフにとっては、成長の中で宝となる経験をさせてもらいました。」

「L’Ost」では、おばあさんのところに習いに行く孫役を演じていたのですが、「Cuoco gentiluomo=シェフは紳士」では、逆に痩せるように制作会社から命令されました。ここでは、「孫」から「魅力的なシェフ」になる必要があったからです。」

「この「Cuoco gentiluomo」では、Vipのお宅に一日シェフとして料理をし、味見をします。この番組の次に、「Chef a domicilio=お宅にシェフ」では、普通の人からなるドラマのような番組でした。スーパーへのお使いから始まり、一日台所を任され、息子から、両親に許しを請うために料理を依頼されたり、まったく料理の出来ない夫から、妻を驚かせるために、スペシャル料理をすることを頼まれる、そういった番組でした。」

(本「L’abito non fa il cuoco.La cucina italiana di uno chef gentiluomo=
シェフの作業着だけで、シェフにはなれない。イタリア料理の紳士」より)

2008年、毎年フィレンツェで開かれる重要な見本市「deGustibooks」(*ここでは食と高いクオリティーの本が結ばれる見本市)に参加します。

アレッサンドロ・ボルゲーゼ・ショー!
「もはや料理番組の人気を確信させる、昨夜のアレッサンドロ・ボルゲーゼの番組での彼のパフォーマンスは、舞台の動物と言わせてしまうところがある。「バリ(南イタリアの町)風鶏の皮のボール」とレシピに名前をつけることもさることながら、彼とオーディエンスとのやり取りも実に楽しく、競演をとても楽しむことが出来ました。」Leonardo Romanelli(レオナルド・ロマネッリ*有名な料理評論家)

2009年7月25日、妻Wilma(ヴィルマ)と結婚。
彼の初の本「L’abito non fa il cuoco.La cucina italiana di uno chef gentiluomo=
シェフの作業着だけで、シェフにはなれない。イタリア料理の紳士」Rizzoli社より出版。
Real Time局より、テレビ番組「Fuori Menu=メニュー外」が放映されました。料理愛好家が、シェフとなり2つの組に分かれ、おのおののメニューを提示し2時間で料理し、20人のお客に90分間給仕をした後、お客が点数をつけ勝ち負けを決める番組で、参加者の料理する才能が問われる番組でした。

「それぞれの旅は、常にすばらしい思い出や大きな感情をプレゼントしてくれます。自宅から遠い場所に出発するとき、日常とは違った、文化の違う、生活様式の違った人々に会い、違った言葉、興味深い習慣、普通にない伝統にであったり出来るわ
けです。
旅とは、魂や頭を新たなる方向へ開けてくれるものがあります。
私たちの新婚旅行ハワイでは、まさにその体験をすることが出来ました。マウイ島では、その空気自体が、夢のような背景、景色は伝説そのもので、それでいて生きている。おおきな火山らに囲まれ、白砂のビーチ、滝、トロピカルなジャングルそして、私のサーフのための波があるのです。」

「なぜならば、今夜はあなたたちが、スペシャル・メニューなんです。」(AB)

2010年、毎週日曜日の朝、RAI(イタリア国営放送)テレビ局の「Ci vediamo domenica=日曜日に会いましょう。」に出演。いつも大きな微笑と陽気さで、人々を巻き込みながら料理を披露しました。
デジタルTVのLa 7Dチャンネルでは、「Cuochi e Fiamme=コックと火」番組で、司会を務めます。
同年、イタリア版「Bocuse d’Or.」の司会を務め、Real Timeでは、「Cortesia per gli ospiti」が、今までのイタリアのお宅を訪問することから、ニューヨークに住む人々のお宅訪問へと、舞台を移動します。

「ニューヨークは、私にとって自然に訪れた選択でした。「Cortesia per gli ospiti」を移動するに当たり、直ぐに頭に浮かんだ場所が、ニューヨークだったのです。一つは、常にミーティング・ポストであること、もう一つはビッグアップルには、常に大きな影響力があり、働く人々に、非常に働きやすい部分があるからです。そして、私はアメリカ生まれ!自分の国なのです。」(AB)

2011年、
今年、Real Time局で、すべての彼のテレビ番組が放映されています。
Canale cinque(=5チャンネル、イタリアの民放で最も大きなテレビ局です。)のゴールデンタイムの番組「La notte degli shef=シェフの夜」に、審査委員として出演しました。
同年、Real Time局より、彼が著作者でもある番組「Cucina con Ale=アレと料理しようよ」が、彼のキッチンから、放映されました。

「私のキッチンからミュージックと共に送りします。すべての味、それは、Vegan(極端な菜食主義者から、豆料理のベジタリアン、Kosher(ユダヤ教の律法にかかった食品),そして子供のための料理まで、含みます。
又、イタリア料理、美食家で、変わった趣向を凝らしたものが食べたい、でも伝統料理から離れたくない人まで、すべてのジャンル、お好みに合わせて、メニューをプランするそれがシンプルの中の贅沢なんです。」(AB)

「やっと、テレビで料理について取り上げられるようになったことに対して、うれしく思っています。なぜならイタリアという国には、食の文化と歴史が非常に高いレベルで存在して来た国だからです。それぞれの地方に、それぞれの料理があるように、町々にも、おのおのの料理が存在します。こうして、テレビが、大幅に料理を取り上げるようになったことを、実にうれしいことと思っています。」(AB)

「私はオートバイ乗りです。ipodはいつも付きっぱなし、ビート・ジェネレーションを読むことを愛します。又、母の家族、祖母、叔母たちが住むベイ・エリアで、サーフをすることをこよなく愛しています。そこは、今でもヴァカンスを過ごすところでもあります。とても暖かい気候に、私の妻はリラックスをし、私はサーフを楽しむ……………..」(AB)

「夏の白、冬の赤と一年中の泡。」
「食べ物の芸術とは、頭の中の冒険。」
「割れた丸パンは, 保障された楽しみ。」(AB)

アレッサンドロ・ボルゲーゼ
シンプルの中の贅沢

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